2週間
今週の木曜日は放射線治療のリハーサル、2週間後の月曜日からはやっと放射線治療が始まります。
5月1日の放射線科での印付けやベッドの型枠作成時には、ガチガチに緊張してしまって、呼吸の仕方さえも分からなくなってしまったほどでした。
痰はゴロゴロするし、それでも咳止めの効果が出てきて、どうにか治まって来ました。
固定具はかなりきつく感じられ、酸素を吸わせてもらいながら、この日の作業は終わりました。
帰宅後、固定具でぎゅーっと締め付けた両脇が痛くて、痛み止めを飲んで寝ました。
翌日から張り切って階段の上り下りをしながら動いたのですが、一往復するたびにゼイゼイハアハア、息苦しさが5日間続きました。
痰を出すたびに痛くなる左右の肺(下の方)と背中と腰の痛み・・・まるで肺癌の症状のようじゃないか!と一人で静かに泣いていました。
加えて今まで我慢していた下腹の痛み(盲腸のあたり)も頻発し、「肺腺癌です」と告知されただけで体中が、反応してしまったかの日々です。
食欲がない、飲み込みまで悪くなる、痩せて貧相になって来ました。
自分で食事を作らないと御飯が出てこないのですが、食べなくていいよと言われれば、何も食べないで過ごしたい。
最後の呼吸器内科の診察の時、「僕は腫瘍の大きさは19ミリだと思う」と言ってた先生(実際は37ミリでした)、そして「ごくごく初期の肺腺癌です」と言い切り、手術の方向で待つことになった時、「出来るだけ早くしてください」と話したら、「あなたよりも緊急に手術をしなければならない患者がいるんです、優先順位があります」と言われました。
いつまでステージ1bの状態でいられるのか、私には分かりません。
呼吸器外科の先生に言わせれば、ステージはリンパに飛んでいるかいないかの違いだけですとのことでした。
日ごとに出来ていたことが出来なくなる。
「もっと早く治療を・・・」と思っていても、クレーマーだと思われたくないのでじっと我慢。
いまはただ放射線治療が無事に終わりますように。
一歩一歩です。
5月1日の放射線科での印付けやベッドの型枠作成時には、ガチガチに緊張してしまって、呼吸の仕方さえも分からなくなってしまったほどでした。
痰はゴロゴロするし、それでも咳止めの効果が出てきて、どうにか治まって来ました。
固定具はかなりきつく感じられ、酸素を吸わせてもらいながら、この日の作業は終わりました。
帰宅後、固定具でぎゅーっと締め付けた両脇が痛くて、痛み止めを飲んで寝ました。
翌日から張り切って階段の上り下りをしながら動いたのですが、一往復するたびにゼイゼイハアハア、息苦しさが5日間続きました。
痰を出すたびに痛くなる左右の肺(下の方)と背中と腰の痛み・・・まるで肺癌の症状のようじゃないか!と一人で静かに泣いていました。
加えて今まで我慢していた下腹の痛み(盲腸のあたり)も頻発し、「肺腺癌です」と告知されただけで体中が、反応してしまったかの日々です。
食欲がない、飲み込みまで悪くなる、痩せて貧相になって来ました。
自分で食事を作らないと御飯が出てこないのですが、食べなくていいよと言われれば、何も食べないで過ごしたい。
最後の呼吸器内科の診察の時、「僕は腫瘍の大きさは19ミリだと思う」と言ってた先生(実際は37ミリでした)、そして「ごくごく初期の肺腺癌です」と言い切り、手術の方向で待つことになった時、「出来るだけ早くしてください」と話したら、「あなたよりも緊急に手術をしなければならない患者がいるんです、優先順位があります」と言われました。
いつまでステージ1bの状態でいられるのか、私には分かりません。
呼吸器外科の先生に言わせれば、ステージはリンパに飛んでいるかいないかの違いだけですとのことでした。
日ごとに出来ていたことが出来なくなる。
「もっと早く治療を・・・」と思っていても、クレーマーだと思われたくないのでじっと我慢。
いまはただ放射線治療が無事に終わりますように。
一歩一歩です。
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